父の経歴・・・4 溶接工
父が配属されたのはパイプ部門、最初3か月間毎日先輩の溶接を見さされたそ
うで15歳の父にはとても眠くつらい期間だったそうです。
溶接をし始めると2週間で先輩と同様に普通に溶接ができて、3か月で1番うま
くなったとよく自慢してます(証人は誰もいません)。
当時ステンレスパイプに規格などなく設計者が思うように描いていたので径や
形状も多種多様でした。材質もニッケル、銅、チタン、ハステロイ、インコネル
等ありとあらゆる金属にわたりました。
工場の環境はとても悪かったそうです。床は土、屋根はトタンでボロボロ、雨の
日にボール盤をするときは傘をさしてしていたそうで、先輩の一人が感電死した
そうです。怖い!!
その頃今みたいに安全靴が安くなかったのでみんな足袋とゴム草履をはいていた
そうです。ある時16t*2000*3000のステンの板をロールにかけて仮止
めしていた時,そのままだとつるつる滑って出来ないので裸足でやっていました。
すると、ふとしたひょうしに手元が狂い感電しました、完全に体が言う事を聞かず
異変に気づいた先輩が助けてくれたから良かったものの誰もいなかったら死んでい
たでしょう。
来る日も来る日もあらゆるパイプの溶接を朝から晩までしていたので2年でパイプ
溶接が嫌になり、製缶部門に移らせてもらいました。
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