父の経歴・・・3 加治屋と製缶屋
「鍛冶屋」と言う言葉を耳にすることがありますが、刀屋さん等、鍛造をする方ですね!
でも製缶屋のこともそう呼ぶことがあります。なぜ製缶屋を鍛冶屋と言うのかについて
はあまり知られていませんし、ネットでも載っていません。否定的にとらえている方も
いるみたいです。父に聞くと昔の鉄工所にヒントがあります。
ステンレスの板をどうやって切ったか?
プラズマなんてありません。
どう切ったかと言うと直線はサンダーで、R部分やサンダーで切れないところ
は「へし切り」と言う切り方で切ったそうです。
片手で持てるくらいの上刃と下刃が一緒になったような工具がありそれを一人
が板にあて、もう一人が大ハンマーでぶったたきながら切っていくのです。6m
m位の板はへし切りで切っていたそうです。
あらゆるものに既製品がなかったので、たとえば鏡板を作る時は一枚の板から
です。まず下にあてる部分的なR型を作ります。次に板の外から一人が型をあて
もう一人がバナーであぶりながら大ハンマーでしばき上げ作りました。大きい物
で3000φ位の鏡板をこのつくり方で作りました。
ほとんどのものが一枚の板から切り出し、熱しながらたたき曲げたりして作っ
ていたそうなんです。
そうです!まさしく鍛冶屋そのものの光景だったのです。
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ディスカッション
コメント一覧
僕は多分鍛冶屋です
へし切と言うのはやった事は無いけれど耳にはした事が有ります
製缶屋でも板金屋寄りと鍛冶屋寄りに分かれると思います
そう考えると僕は鍛冶屋寄りですわ
t-6mmでODΦ300以上のナウターミキサーの羽を伸ばす時はかなり野蛮ですもん
プロパンで真っ赤に焼いたSUSを大ハンマーでブチのめす
「元工兵が」が口癖のお師匠様から受け継いだ極少ない業では有りますが、次世代に受け継いだのは僕が最後になるんだろうな
好んで3K以上の過酷な職を選ぶ若者なんて居ないし、時代は進化してそこまで苦労しなくても機械が人間の変わりをしてくれますし・・・
でも僕は自分が鍛冶屋で有る事に誇りをもっています
Φ300じゃ無くてΦ600です^^;
RとΦの書き間違えです
φ600の羽根のナウター本体とはかなりばけもののような感じですね!
私はやったことはありませんので分かりませんが、父が同じようなことを言っていました。
その技術は本当に宝ですね!!